自分の無意味な強情さをどうにかしたほうが良いのかもしれないと感じたけど,私の強情にもそれなりの価値があって,自分の言葉の軽さをギリギリのところで踏みとどめるためであったり,他人を自分の都合で振り回さないようにしたりといったことには多少なりとも役に立つから,捨てないほうが良い気もする.自分の発言に責任を持つということが今まで全くできてなかったから,自分がたとえ不幸になることがわかっていても,自分を不幸に突き落とす覚悟をあえて選択する必要があるのだと思う.

自分が辛いと感じたり,どう考えても損にしかならないとわかっていてもやり抜かないといけないことがあると思うから,客観的に見て馬鹿としか言いようのない選択であっても,私は貫き通すしかない.人間関係を崩壊させないための選択が人間関係を破壊しようとしてるのは大いなる皮肉だけど,一度決めた以上やり抜くしかない.

イン○ーンに参加するのだけど,必須とされている知識が身についてないのに参加することになって大変宜しくない.専門外の人で参加するのどうやら私だけのようだし,完全に†闇†になりそう.必要な知識を注入するための教科書一冊読むぐらい5日もあれば十分出来たのにやらなかったのは本当クズとしか言いようがない.自分はもう駄目かもしれない.精神的にボコボコにされて怠惰な自分を破壊できたら良いと思うけど,外部からの刺激で変わろうと思っている時点で,どだい無理な話なんだよな.

結局,私には誰かを楽しくさせたり幸福にさせることなんてできなくて,ただただ,不快にさせたり不幸にさせたりしかできない.人に寄りかかってばかりで,他人に絶望以外のものを与えることが出来ない.例外的に私の駄目さっぷりを見て安堵したり,共感を覚える人がいるのかもしれないけれど,それに何の意味があるのかという気がするし.