忘年会で准教授氏から,認識の歪みを指摘された.少ないサンプルで判断を下すから,偏るんじゃないの?と言われた,たぶん,正しい.ただ最も悪い事態を前提として動いたほうが良いから(精神的な楽さはともかく),あんまり楽観的になってもなぁという気もしないわけでもない.最悪を想定すれば,楽観から絶望への相転移が生じることがないし.ただ現実なんて幾らでも想定を裏切るものだから,偏見を持つのは良くないというのは正しいし,難しい.過度に最悪を前提としすぎると,やっても無意味という考えに陥って機会を逃がす危険性があるし.

就○関係のアレコレは色々と書くとアレだし,書けないことが多い.学内で開かれた説明会に出て思ったのは,働きたいと思える会社は案外少ないなということぐらいかな.あと,思ったよりも社員の人たちは頭良さそうではない.指導教員の先生たちのほうがよっぽど頭がキレる(当たり前).変に担当者の人を神格視して萎縮しないのは良いことだと思うけれど,それが原因で緊張感がなくなってしまうのも問題なので,気を引き締めたい.そもそも,頭良さそうに見えないと言ってる私自身が別に頭良くないので,駄目だし.学部三年生のときと比べると自分自身の質問するスキルが落ちてるなぁと思った.全然質問が浮かばない.相手にコイツはデキる!と思わせるような問いを発することができるようになりたい.

周りの目を気にすることなく自分の好きなことをしてる人は魅力的だし,尊敬に値する.それに比べて自分の純度の低さといったら恥ずかしくなるばかりだし,失望させられる.社会的なステータスとか将来の安定性,そういうものに少なくともある程度は囚われている自分が嫌になる.あとは,やりたいことがない空っぽな自分に絶望を感じる.私を突き動かしているものは自分の内から湧いて来るものではなくて,外からの作用.だから,薄っぺらいし,本物の人に容易に看破される.

憧れを抱くものの自分はその理想に近づくどころか,その人たちとの乖離を嫌ってほど認識するばかりだし,自分がニセモノである事実に絶望感が深まるだけだ.