『今更,君にお説教臭いことを言っても仕方がないと思うので,とやかくは言いません.ただ,これからは,もう少し他人との係わり合いを習得して欲しいと思います.そうしないと,君自身が不便でつまらない思いをしなくてはならないことが続くし,周囲も変に気を使う場面がこれからもあり続けるだろうと思います.嫌なことがあったら,他人にわかりやすく,しかもことを荒立てないよう表現する術を考えてください.そして,多少の寛容を身に着けてください.自分が完璧な人間でない限り,寛容さは必要です.』

何で大学院に進学してからというものの,かなり人との接触を増やしているのかについて考えてみたのだけど,割と学部時代の指導教員からの最後のメールが大きいような気がする.私は自分が変わることはないし,また,研究室を飛び出した原因が必ずしも私だけが悪くないと思っていたのもあって(むしろ,先にやってきたのはあちらだし,私はただ相手を無視し続けただけで,暴言を吐くどころか私は相手に姿すら見せなかった),返事はしなかったのだけど,まあ,これから先のことを考えると,嫌な人間というのは確実に姿を現すわけで,しかも,それが会社の上司とかだと絶対に逃げられないのだから,ある程度,人と関わり合うことで人に対する防御力を高めておかねばと思っているのかな.今になって振り返ってみると,当時の私もかなりどうでもいいことで腹を立てていて,あまりにも怒りの閾値が低かった.そういう反省もあるのかもしれない.ただあの時の私は院試に不合格になって精神的にかなり追い詰められていたから,あそこまで閾値が下がっていたのがあるのだと思うのだけど.あと,他大学院進学しか選択肢がなかったことや,卒業研究でその人達が全く役に立たないこと(論文のレビューをしていたので,別に共同研究していたわけでも,実験装置をシェアしていたわけでもなかった),元々,その人達に対して仲間意識だったりを全く感じてなかったのも大きい.まあ,もっと複雑な事情なり心情なりがあったのだけど,そこらへんは割愛.私は被害妄想が強いと結構言われていたのがあって,嫌なことがあって言っても,被害妄想をこじらせてると相手にしてくれないだろうなという感情があって,コイツラに何言っても無駄だという気持ちがあったのも大きかったのかも.たぶん,私は彼らのことを話しても無意味な連中と定義していたのが一番の要因なのかな.無意味どころか,被害妄想だの何だの言われて嘲笑されて,結局,何も言わないほうが嘲笑されない分,不愉快にならずに済むという計算があったと思うし.私は研究室の人達のことを無視したことが,そこまで悪いことだと今でも思っていない.別に暴言を吐いたわけでも,暴力を振るったわけでもなく,何も言わずに消えただけ.それなのに,何やかんやで結局一番悪いのは私になっていたことについては未だに納得はしてない.勿論,私が消える前までに無礼な態度を取っていたかもしれないので,罪深さという意味では私も大したものなのかもしれないが.まあ,今更,完全に切れてしまった人間たちについて考えるのは無意味だし,それに,関係を改善するチャンスがあったとしても,改善したいと思わない,別に私が興味を抱くタイプの人間ではなかったのでどうでも良い.ただ記憶の底に沈んでいくだけ.大学生活の最後をああいった形で終了させてしまったことに対する苦々しさは残るだろうけど.まあ,でも,そもそも大学生活自体が闇色だったので,その闇色の生活の終焉として考える分には適切だったかもしれない.闇色から始まって,闇色に終わる.大学院生活については今のところ,大学生活ほどはスタートダッシュも途中経過も悪くないけど,それなりにクラッシュしそうな要因が主に自分の中に見られるので,上手いこと自分の悪い部分を封じ込めて,虹色と行かないまでも,群青色程度の大学院生活が送れたらと思っている.その為にも,どんどん人と関わりあうことで,徐々に他人とのコミュニケーションを適切なものに変化させることが重要なのかも.入力に対する出力のクオリティアップが今の課題かな.あとは疑心暗鬼にならないためにも,人のことを理解しなければいけないのかも.たとえ,現実が悲惨なものであっても,それを飲み込んで,対外的には何とも思っていないように見せるための心の強度を得ることも大切かもしれない.そうすれば悲惨なクラッシュは避けられるはず.結局,互いに嫌い合っていたところで,表面上は仲良くしてれば,クラッシュは起こらないのだから,そこら辺の演技力も不便にならないためにも必要かな.嫌いな相手に対して,僕はあなたのことを嫌ってませんよ.と善人面して関わるのは時間の無駄じゃないかと思ったりはするけれど,もう私も子供ではないのだから,そういう青臭いというか正論的な部分は飲み込まなければいけないのだろう.本音は捨てて,建前だけで生きる.

わけがわからない.